その先へ

自分の心と向き合っていきます

トンネル入ってます

どうすればいいか分からない

 

 

 

何もしなくていいのかもしれない

 

 

 

 

それすらよく分からない

 

 

 

 

 

次男が境界知能の疑いで、検査をすることになった

 

 

 

 

そして私がADHDの診断を受けた

 

 

 

 

 

ここまではよかった

 

 

 

 

前進できた感じがした

 

 

 

 

 

昨日は長男の授業参観だった

 

 

 

 

 

学校で誰とも口を聞いていない長男

 

 

 

 

 

自由に描く絵を白紙で提出し、先生が手を握って一緒に描いてくれた

 

 

 

 

 

 

 

自分の好きなものを知られることを、極度に嫌がる長男

 

 

 

 

 

恥ずかしがる長男

 

 

 

 

 

 

 

 

めっちゃ分かる

 

 

 

 

 

私もそうだった

 

 

 

 

今もまだそういうところあると思う

 

 

 

 

 

 

このことで唯一救いなのが、私が気持ちを分かってあげられるということ

 

 

 

 

 

 

だけど、「このままでいい」「そのままでいい」とはなかなか思えなくて、今それが辛い

 

 

 

 

 

 

「何かしてあげた方がいいのか」

とも思うけど、かえって長男のプレッシャーになるんじゃないかとか、

 

 

 

 

そもそも何をしてあげればいいのか考えても分からないし

 

 

 

 

 

 

とりあえず子どもたちの見た夢の話を聞いて、私がそれを絵に描いたりしてみたり、、

 

 

 

 

なんでもいいんだよーって、

 

 

 

適当でいいんだよーって、

 

 

 

 

まあいっかって、

 

 

 

 

 

思えたら楽なんだろうけど、

そこにいくまで時間かかるんだよね、分かる

 

 

 

 

 

 

長男も私も、同じようなことでつまずいてるんだと思う

 

 

 

 

 

真面目すぎるんだと思う

 

 

 

 

頭で考えすぎてるんだと思う

 

 

 

 

 

だけどなかなか、変えられないんだよ

 

 

 

 

 

「なんでそんなに気にするの?」

「子どものありのままを受け入れてあげなよ」

 

 

 

 

ここ最近そうやってよく言われる

 

 

 

 

それができたら、苦労しないのだ

 

 

 

 

出来ないから、辛いのだ

 

 

 

 

 

 

 

今日は地区のウォーキング大会に参加してくる

 

 

 

 

 

どうせ気楽になんていられないんだから、こうなったら真面目を楽しんでやる

 

 

 

 

 

授業参観後、担任の先生と話した

 

 

 

 

安心した

 

 

 

 

 

真面目な私は、人と群れたり、噂話や陰口に参加したりが出来ない

 

 

 

 

でもそのおかげで、先生と親しくなるのは得意だ

 

 

 

 

 

私は特技が無いと思ってたけど、それは特技かもしれない

 

 

 

 

 

特技:先生と関係性を築くこと

 

 

 

 

 

 

何それって感じだけど、こんな感じで今日も生きていく

殻にヒビ入ってきてます

今日はお墓参りに行って来た

 

 

朝些細なことで糸がプツンと切れ、子どもの前で取り乱して怒鳴ってスプーン投げて泣いた

 

 

 

 

自分の力だけではもうどうにもならんと思って、だからお墓参りに行ってきた

 

 

 

 

子どもとスーパーへ散歩に行き、仏花を買って、隣の市にある父方と母方、両方のお墓に行った

 

 

 

 

 

墓地で転ぶとおばけに取り憑かれるんだって〜という話をした直後に次男が転けて、長男がビビり倒してた笑

 

 

 

ギリギリ墓地出たとこの坂道だったからおっけーっていうことにしたら納得してた

 

 

 

 

 

 

 

なんだか私は、昔同居してた父方の祖父母がいつも右後方に居てくれてる感覚があって、お墓参りでさらにその感覚が強まったので、今は最強無敵状態である

 

 

 

 

 

もうここ最近苦しくて苦しくて、悩み 心配 分析 悩み 心配 分析 の無限ループに陥っていて、、

 

 

 

 

 

 

でもなんとなく、もう少しで殻が完全に割れて、スッキリして全く別の感じ方、価値観の自分に生まれ変われそうな気もしている

 

 

 

 

 

数ヶ月前から、算数を好きになりたくて、小3あたりの問題集を解いてるんだけど、普通に悩むし間違えるしで、今日も夫に教えられながらなんとかやった

 

夫はどうやったら簡単に解けるかを考えるのが得意だ

 

 

その中で、

「理数系の脳が無いと、考えても無駄なことで悩む」
「どうやったら物事を簡潔に処理出来るか、そういう能力は算数の問題で鍛えられる」

 

と言われた

 

 

 

 

ほほう。なるほど

私は算数が苦手だから、いつも答えのないことで悩み続けてしまうんだなと気付いた

 

 

 

 

こういう思考の癖って、変えるの大変だよね

 

 

 

 

 

だけど最近、変わらなきゃ!

より、

変わりたい!

の気持ちが大きくなってきて、

ちょっと良い方向に向かってる感ある

 

 

 

 

子どものためじゃなくて、

まずは自分のためにを考えていきたい

 

 

苦しい

猛烈に苦しい

 

 

 

私の感覚をひっくり返すときがきたのか

 

 

 

 

 

買い物へ行くことの必要性

友達を作ることの必要性

働くことの必要性

 

 

 

それを教える必要性があるというのか

 

 

 

 

今は便利な時代で、スーパーが苦手ならネットショッピングが使えるし、友達いなくてもオンラインで誰かと繋がれるし、

 

 

 

 

 

働けなくてもどうにかなるだろう

 

 

 

 

 

ってわりと本気で思ってた

 

 

 

 

 

 

私はこういう風に逃げ道をさがす癖があるんだと思う

 

 

 

 

問題に向き合わずに楽な方を選ぶ

 

 

 

 

 

子どもも自然と、私の言動からこのような思考を継承しているように思う

 

 

 

 

 

私はそういう風に逃げ続けて生きてきて、他力本願でも他責思考でもなんか普通に生活できてこれちゃったから、人生こんな感じでもいっかって思ってるんだけど、

 

 

 

 

やっぱり子どもにはちゃんと、子どもの人生を地に足をつけて歩んでいってもらうために、「必要性」を教えてあげたほうがいいんだろうか

 

 

 

 

でもそんなまともな人生を生きてほしい、みたいな、そういう気持ちがどうしても湧いてこない

 

 

 

 

 

どうにかなるって本気で思ってしまってる、私が。

 

 

 

 

 

別にホストになりたければなれば良いし、次男なんかは特にそういうの向いてると思うし、

 

 

 

YouTuberに挑戦してみたっていいと思うし、、

 

 

 

 

 

 

大学行って一般企業に就職して。。

 

 

みたいな、そういうことの方が、なんか想像できない

 

 

 

 

考えてると苦しい

 

 

 

 

人目が気になって幼稚園の玄関で足がすくむ次男、

知り合いに会いたくなくてスーパーや花見に行くのを躊躇する長男、

 

 

 

私にはその2人の気持ちがとてもよく分かる

痛いほど分かる

 

 

 

 

だから共感してた

ひたすら共感してた

 

 

 

 

「分かるわああああああああ」

って心の底から唸ってた笑

 

 

 

 

だけど昨日妹に、「共感するばかりじゃなんの解決にもならない」って言われて、確かにと思った

 

 

 

 

そもそも私は解決しようとは思ってないから、生きていく上での「必要性」とか、「他人は自分のテリトリーに入ってくるものだ」みたいなのを教えることをしてこなかった

 

 

 

 

その代わり、私が地域のイベントに積極的に参加する姿とか、太鼓の達人がめちゃうまい男の子の親に話しかけてる姿とか、回覧板持ってきてくれた人と世間話してる姿とか、

 

 

そういうのを見て、「ああ人付き合いっていいもんだなあ」って勝手に子どもが感じて学んでくれるだろうって思っちゃってたから、今まであえて正論を言ってこなかったし、共感しかしてこなかった

 

 

 

 

でもこれじゃダメなのかもなあと、妹の話を聞いて思った

 

 

 

ただすごく不思議なのが、言葉で教え込んでる妹の子どもと、我が家の子ども、どちらも同じように、人目を気にする消極的なタイプに育っているということだ

 

 

 

 

これからどうなっていくんだろう

 

 

 

 

こんな母親でごめんね〜

 

 

 

 

なんかいろいろと間違ってたらごめん

 

 

 

 

だけど人として大切なことはちゃんと私が示していくから、そこだけは安心して生きていってほしい

楽になれ

人生どうにかなる

 

 

何が起きてもなんとかなる

 

 

 

人と比べない方がいいってわかってても、比べてしまう

 

 

 

それでいい

 

 

 

比べたって全然いい

 

 

 

 

 

自信がなくたっていい

 

 

 

 

自分のことが好きじゃなくたって全然いい

 

 

 

 

毎日死にたくても問題なし

 

 

 

 

辛くてもいい

 

 

 

お金なくたっていい

 

 

 

 

引きこもったっていい

 

 

 

不登校でもいい

 

 

 

 

性格悪くてもいい

 

 

 

 

家庭環境最悪でも全然いい

 

 

 

 

親と絶縁したって大丈夫

 

 

 

 

友達いなくたって問題無し

 

 

 

 

仕事でミスしてもなんとかなる

 

 

 

 

 

 

 

 

もはやなんでもいい

 

 

 

 

投げやり大歓迎

 

 

 

 

 

 

 

 

人生なんて、どうやり過ごすかだ

 

 

 

 

別に生きがい無くたって生きていける

 

 

 

 

楽しめなくたって大丈夫

 

 

 

 

だってどうせいつか死ぬんだから

 

 

 

 

 

 

いつか死んでしまうから頑張るんじゃない

 

 

 

 

一度きりの人生だから後悔ないように生きるんじゃない

 

 

 

 

 

 

 

どうせ死ぬんだから、適当に生きたっていいじゃないか

 

 

 

 

 

自分の人生だ

 

 

 

 

 

 

 

 

それでいい

 

 

 

 

 

それだけでいい

 

 

 

 

そのままでいい

 

 

 

 

 

 

全然いいのよ〜

 

 

 

 

 

なんでもいっすよ〜

 

 

 

 

 

適当適当♪

 

秘密のファッションショー3

結論、私はランドセル選びに同席しないことにした

 

 

 

 

 

おそらく舅と姑、そして夫と次男の4人で行くことになるかな?

 

 

 

 

きっと姑に言いたい放題言われて、半強制的に黒やネイビーあたりになると思う

 

 

 

 

次男にはその、「言いたい放題」を跳ね除けるほどの強さが無い

 

 

 

 

「言いたい放題」に「好き」の気持ちが負けてしまうのだ

 

 

 

 

いや、本心では勝っているかもしれないが、繊細で打たれ弱い次男だから、「どうしてもピンクが良い!!!」とは言えないと思う

 

 

 

 

周りの顔色を伺って、5歳なのに自分の気持ちを押し殺して、姑たちが納得するカラーを選ぶと思う

 

 

 

 

 

私には、そんな次男の姿を見ているのは耐えられないのだ

 

 

 

 

かと言ってそこで次男の肩を持つと、余計に次男が混乱すると思うし、なにより角が立つ

 

 

 

 

 

だからランドセル選びは、義両親と夫に任せるのが賢明だと思った

 

 

 

 

 

 

 

 

もしも、届いたランドセルがどうしても気に入らなくて、表情が曇ってて学校も行きたくなくて、、みたいな事態になったら、私には秘策がある

 

 

 

 

義両親世代は知らない、とっておきの秘策

 

 

 

 

 

 

 

それは、ランドセルのサブスクだ

 

 

 

今やランドセルは、レンタルできる時代

 

 

 

サブスクで、ピンクだろうがなんだろうが、次男の好きな色、好きなデザインを選ばせてあげようと思う

 

 

 

 

 

 

一緒に入学式に行くのも、登下校の付き添いをするのも、私だけだ

 

 

 

 

 

姑には、義両親が買ってくれたランドセルを担いだ写真を送りさえすれば、それでもうあちらは満足なんだから

 

 

 

 

 

 

 

こないだ次男に、「ふりふりのスカートプレゼントしてあげようか」と言ったら、「えー恥ずかしいよー」と言いながらも、ものすごい笑顔だった

 

 

 

 

 

翌日、女の子のコーナーで服を選んだ

 

 

 

 

 

次男は、紫のパステルカラーの、フリフリが付いた、可愛いTシャツを選んだ

 

 

 

 

撫でると絵柄が変わるTシャツで、とっても気に入って、今まで服を着てこんなに嬉しそうにしたことなかったのに、ずっと笑顔でニコニコしてて、鏡の前に立たせてあげたら、ほんっとうに嬉しそうにしてた

 

 

 

 

 

 

 

これが、今現在の次男のありのままの姿だ

 

 

 

 

 

大人は先ばかり見て、未来を案じて、子どもに恥をかかせまいとする

 

 

 

 

だけど、好きでないものを強制されて、確かに恥はかかないかもしれないが、それでは一体、曲げられて潰された次男の心は何処に行くんだろう

 

 

 

 

 

誰が守ってあげるんだろう

 

 

 

 

 

私は、次男の「好き」を止めない

 

 

 

 

 

秘密のファッションショーをして、これからも次男の心を守っていくと決めた

 

 

 

 

 

あの素敵な笑顔に誓って。

 

秘密のファッションショー2

妹に、最近どう?と言われたので、姑からの次男いびりの悩みを話した

 

 

 

 

そしたら、「○○(妹の子ども)も2歳くらいのときピンク大好きで、スカートで保育園行ってたよ!可愛いもの与えまくったら飽きたよ!」と教えてくれた

 

 

 

 

その○○くんは、上にお姉ちゃんがいるし、2歳頃の話なので、我が家の次男とは少しケースが違うと思うけど、そこで私はあることを思い出した

 

 

 

 

 

発達相談での、市の保育士さんからの「やめなさいと言えば言うほど、かえって依存が強まります」という言葉

 

 

 

 

 

 

それを思い出した時、あ、私依存してるのかも、と思った

 

 

 

なぜなら、姑に「ピンクダメ!男の子なんだから!」と言われるたびに、私は反発心が湧き起こって、「次男の好きなものを大切にしてあげたい!!私が守ってあげなきゃ!味方でいなくちゃ」という気持ちになっていたからだ

 

 

 

 

 

そしてこの発達相談の件は、姑にも伝えていた

 

 

「余計に依存が強まる」と教えれば、少しは大人しくなってくれるかなと思ったからだ

 

 

 

 

その時姑は、「心配しなくても自然と男の子らしくなるでしょ」と言っていた

 

 

 

 

私は内心、「いやいや貴女が一番心配してるんですよ。。そう思うなら見守っていてください」と思ったけど黙っていた

 

 

 

 

 

 

で、今回気づいたのだが、その発達相談の話をして以降、余計姑の「やめなさい」が一層強くなったように感じるということ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そう、私が伝えたことは、全くの逆効果だったというわけだ

 

 

 

 

次男のことに口を出してくる姑に、私がそれをやめてほしくて遠回しに「余計依存が強まるらしくて〜」「今はそんな時代じゃないですけどね」などと話す

 

 

 

 

姑は「口出しをやめなきゃやめなきゃ」と自分に言い聞かせるも、反発心が湧き起こる

 

 

 

 

 

 

余計にこの問題に固執し、依存状態になり、さらに口うるさく嫌味を言うようになってしまった

 

 

 

 

 

というわけだ

 

 

 

 

つまり、姑が口うるさいのは、私のせいだったのだ

 

 

 

 

 

 

 

 

やめなきゃと思っているのにギャンブルから抜け出せなかったり、忘れたいと思えば思うほど、元彼のことで頭がいっぱいになったり、、

 

 

 

 

そういうのと同じだ

 

 

 

 

 

そう、私と姑は、お互いの言葉によって、二人して依存状態に陥っていたのだ

 

 

 

 

次男の問題だというのに、大の大人がなぜかそのことに依存しているという、なんとも情けない状況である

 

 

 

 

 

そのことに気づいた時、ああもう何もかも受け入れよう、と思った

秘密のファッションショー1

ゴミの話を長々と書いたが、それ以上に今私の心をざわつかせている問題がある

 

 

 

 

姑の、次男への嫌味問題だ

 

 

 

 

 

以前のブログにも書いたが、姑は「男は男らしく」と思っているタイプ

 

 

 

 

 

ランドセル変な色にしたらいじめられる!

あーやっと靴ピンクやめたのね良かった(次男は姑に気を遣って黄色を選んだと思う。選ぶ時に、欲しいのがどれだか分からないと本人が言っていた)

すみっこ(ぐらし)はもう卒業!

 

 

 

などなど、毎回会うたびに何かしら言ってくるのだが、先日身内7人で食事に行った時も、

 

 

 

「○○(長男)って、こんなに顔がちっちゃかったっけ?」

 

 

 

 

私「元々小さい方かもしれませんね」

 

 

 

 

姑「こっち(次男)と全然違うからさあ」

 

 

 

 

私「こないだ前髪切ったからかな?」

 

 

 

姑「違うよ!後ろの髪が伸びてるから顔がデカく見えるんだよ!!」

 

 

と、髪を触りながら言われた

 

 

 

 

次男は、おそらく本心はロングヘアが良いと思っているが、それは口に出さない

 

 

 

ただ、髪切る?と聞くと、切りたくない。と言う

 

 

 

 

だから今、ギリギリ肩につくくらいの長さになっているのだが、姑はそれが気に食わないようだ

 

 

 

 

私がこういう場面で、一体何に対して傷ついているのかということを、自分の気持ちと向き合って考えてみる

 

 

 

 

1、次男を否定されたような気になること

2、夫含め周りの人が誰もフォローしてくれないこと

3、私も心の奥底で、次男の持ち物や髪のことを気にしているが、それでも次男の気持ちを尊重したいと思っているのに、それが姑に伝わっていないと感じること

4、姑にはっきり言い返せない、自分自身への不甲斐なさ

 

 

 

 

食事会の時は、「ああやっぱ髪長いかな」と思ったくらいで、姑の発言はさほど気にならなかったが、帰宅してからだんだん腹が立ってきた

 

 

 

 

「男の子なんだからもっと短くしなさい!」

 

 

 

と言ってくれた方がまだ良かった

 

 

 

顔がデカいと言えば、私が髪を切る気になるだろうと姑は考えたと思うのだが、申し訳ないが私はそんな単純思考の持ち主ではない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2日間ほどモヤモヤしていて、私はあることを決めた

 

 

 

 

GW、自営業手伝いません

 

 

 

 

繁忙期なので本当は私も出た方がいいのだが、そうすると姑にGW中毎日4時間以上子どもを預けることになる

 

 

 

今の私の心理状態では、それはちょっと厳しいなと感じた

 

 

 

 

夫には、「私がどうしても勤務した方がよければ、貴方から義母さんに、○○(次男)が気にしてるから、もうランドセルや髪型のことは言わないであげて、と伝えてほしい」とお願いした

 

 

 

 

 

まあそんなこと、夫は姑に言う気が無いって分かっているけど

 

 

 

 

 

それどころか、翌日次男の美容室の予約を入れていた

 

 

 

一瞬、ああ義母の言いなりだな。。と思った

 

 

 

 

だけど、夫は夫で、内心いろいろ考えての行動だと思う

 

 

 

 

 

そもそも夫側の家族は、俗に言う機能不全家庭だ

 

 

 

みんながみんなに気を遣っている

 

 

 

家族なのに、他人より他人っぽくて、愛想笑いで会話も続かない

 

 

 

いつも姑だけがギャーギャー騒いでいる感じ

 

 

 

 

だから夫は、姑にどう話を切り出したらいいのか分からないんだと思う

 

 

 

 

美容室に予約を入れたのは、おそらく姑から次男と私を守るための、夫なりの策でもあるのだ

 

 

 

 

、、と、信じたい

 

 

 

 

 

次男の髪型は、

・前髪は眉毛の高さ
・サイドは耳が半分見えるくらい
・後ろは肩にギリギリつかないくらい

にしてほしいと、私から夫にお願いした

 

 

 

 

 

 

 

私の心は相変わらずモヤモヤしていて、ずーんと重い鉛を乗せているようだ

 

 

 

 

そんなとき、東京に住む妹から電話がきた